啓示とは?
「啓示」とは、人間が知り得ないことを、神が明らかにされたことであり、以下の2種類があります。
- 一般啓示
- 特別啓示
人に与えられる啓示には「一般啓示」と「特別啓示」の2種類がありますが、「一般啓示」は全ての人に与えられ、「特別啓示」はそうではありません。
そして人は、その与えられた啓示の「光の量」に応じて神からの裁きを受けることが定まっています。
では、それぞれの啓示について、詳しく見ていきましょう。
一般啓示
神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません
ローマ1:20
聖書には、被造物を通しての「一般啓示」によって「神の永遠の力と神性」が知られているので、「神がおられるとは知りませんでした」と弁解することはできないと書かれています。
被造世界を通して
聖書の主張:被造世界は、神の力と栄光の現れであり、神の存在を感じることが可能です。
無から有を生じさせることは可能でしょうか? 科学的な答えは「不可能」でしょう。
下記の連立方程式を合理的に解こうとするならば、背後の原因を考察せざるを得ません。
- 無から有を生じさせることは不可能
- 物質世界が存在する
物質世界はどのようにして存在するようになり、どのようにして秩序と法則性をもって保たれているのか?
また、偶然が重なって今の世界が存在するようになったのなら、それはどれくらいの確立か?考えたことはあるでしょうか?
宇宙の法則性はデザイナー(神)の存在を示す
宇宙は驚くほど規則正しい運行をしており、法則性を見出すことができます。
もし、宇宙が「ビッグバン」で偶然によって始まったのなら、バラバラに吹き飛んで無秩序にならないでしょうか?
「エントロピー増大の法則」は簡単にいうと、
- 物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かう
- 自発的に元に戻ることはない
ということですが、では宇宙の法則性、規則性をどう考えたら良いのでしょうか?
物質世界が存在し、規則正しく運行しているのは、造られたデザイナーである「神」が存在するから。
こう考えることが合理的で自然ではないでしょうか。
良心を通して
レベルの差はあっても誰の心にも「良心」はあり、その存在自体を否定することはできないでしょう。
パウロは、こう書いています。
彼らは、律法の命じる行いが自分の心に記されていることを示しています。彼らの良心も証ししていて、彼らの心の思いは互いに責め合ったり、また弁明し合ったりさえするのです
ローマ2:15
- 創造の秩序のひとつとして、良心が人間の心に与えられた
- アダムの堕落以来、良心は不完全になった
- 良心だけでは、「神を知ること」「神に喜ばれること」が不可能
「サイコパス(感情の一部が欠如)」や「ソシオパシー(反社会性パーソナリティ障害)」の人は良心が無い人のように言われています。
しかし、良心が全く無いということではなく、良心を感じる感覚よりも、もっと強い情動によって支配され、行動してしまうのでしょう。
普段は良心が正しく機能している人でも有事の際には危険回避を優先させ、良心の要求を後回しにするかもしれません。
創造の際に与えられた良心は、アダムの堕落によって不完全なものになってしまい、それ以降、完全な良心を持っている人は一人もいないのです。
一般啓示
ここまで読んで来られた方は、神の存在を否定しようとすることは簡単ではないと感じられたのではないかと思います。
だとすると、与えられた啓示の「光の量に応じた裁き」と自分自身との関係を確認する必要があるのではないでしょうか?
一般啓示の限界
一般啓示には限界があり、神の存在の可能性を示しますが「救いの道」を示すことができません。
だから、救われるためには特別啓示を受けることがどうしても必要なのです。
特別啓示
神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました
ヘブル1:1~2
救われるためには「特別啓示」が必要であり、それは御子イエスを通して啓示されました。
特別啓示は、一般啓示以外の奇跡的な方法で、神がご自身を示されることで、聖書が完成する以前は、夢、幻などを通して、人にご自身を現わされました。
しかし、今の時代に生きるわたしたちは、聖書のみことばを通して導きを受け取ることが最も重要であり、夢や幻による啓示を安易に求めるべきではないと感じます。
というのは、見て信じたいということは「不信仰」の現れだからです。
イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
ヨハネ20:29
特別啓示とは、聖書に書かれたことばによる啓示で、「受肉」つまり、神の子が人間となられたことは、特別啓示の中の特別啓示です。
「受肉」によって、神が人となって、人類の歴史に直接介入され、イエスは人類の代表「最後のアダム」として、贖罪死を成し遂げられ、「福音」を通して、救いの道を示されました。
私たちは聖書を正しく読んで理解することによって、一般啓示をも正しく理解できるのです。
では、聖書を正しく理解するためには、どうしたらよいのでしょうか? そのためにはまず、聖書が神の霊感によって書かれたことを知らなければなりません。
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです
Ⅱテモテ3:16~17
霊感によって書かれたというのは、原典においてであり、聖書(原典)は誤りなき神のことばであると言えます。
それと同時に、写本に誤りがないことを保証しているわけではないということも知っておく必要があるのです。
啓示による裁きと神の正義
- 人は与えられた啓示の「光の量」に応じて裁かれる
- 裁きにも軽重の差がある
特別啓示を受けて、つまり「福音」を聞いて、不信仰を貫いて永遠の滅びに至る人は、「福音」を聞かなかった人よりも受けた「光の量」が多いので、それだけ重い裁きとなります。
もちろん、それ以外の要因も、裁きの軽重の差に影響しますが、ここでは、啓示の光の量に限定して説明していますので、ご了承ください。
福音を聞いていない人 | 福音を聞いた人 |
---|---|
一般啓示によって裁かれる | 特別啓示によって裁かれる |
永遠の滅び | 永遠の滅びor永遠のいのち |
啓示の量と行いに応じた裁き | 福音への応答により決定 |
残念ながら、一般啓示は、「救いの道」を示すことができませんが、被造世界を通して神の存在に気づき、神を求める生き方をする人がいます。
そういう人には例えば「宣教師が遣わされる」「神の超自然的な介入」などの神の摂理と思える出来事を通して、特別掲示が与えられるのです。
神は正義をおこなわれるのですから、人間的な判断で、「神は不公平だ」と思うべきではありません。
神を求める人、救いに定められた人には必ず救いの道が示されるのです。
まとめ
救いの道を示せない一般啓示ですが、一般啓示に応答して生きる人へは、特別啓示へと導かれ、救いに至る可能性が示されます。
特別啓示へと導かれ、イエス・キリストの福音を通して神の愛を受け取る人は幸いです。
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